コラム
川の上流に目を向けるということ
私は、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の治療効果研究に携わる中で、性暴力被害に関する研究に取り組むようになりました。
治療効果研究の心理面接の中で、性暴力の被害に遭った方たちの多くが、「自分は汚くなってしまった」と語っていらっしゃいました。そしてその「汚くなってしまった感覚(汚れ感)」は、治療の中でPTSD症状が改善されていくにつれて、軽減し、あるいは解消されていきました。「私は、何も変わっていない。私は、汚れてなんていなかった」、そのような言葉がたびたび語られました。
私は、驚きました。被害者支援に関わり始めた頃は、私も、性暴力被害に遭うことで汚れ感を抱くことに、違和感を覚えていませんでした。しかし、PTSD症状の改善に伴って消失していくということは、汚れ感は、症状の一つだったと気が付いたのです。
そして、私ははじめ、「汚れ感」は心理療法の中でどのように変化していき、軽減していくのかということに関心を持ち、研究を行いました。変化の過程が分かったならば、個々の心理支援の中で、役立つのではと考えたためです。
その後、私は次第に、なぜ多くの人が「汚れ感」を抱くのかということに疑問を抱き始めました。「汚れ感」は、被害後に生じる、自分に対する否定的な考え方の一つです。そして、被害後の自分に対する否定的な考え方は、PTSD症状を長引かせることが分かっています。
本来ならば、性暴力は暴力であり、被害を受けた側の人が、自分に対して否定的な思いをもつ必要はないはずです。そしてもしも、被害を受けたとしても、自分に対して否定的な思いを持たずにいられたならば、PTSD症状は長引かないかもしれません。自分の被害を被害だと認識し適切な機関に相談に行く、加害者に対して怒りを抱き警察に相談する、そうしたことが、しやすくなるかもしれません。
現実に、性暴力の被害後に「汚れ感」を語る方がいらっしゃる現在、心理支援の中でその感覚にどう取り組んでいくかを研究することは非常に大切です。同時に、その「汚れ感」が生まれる要因、川の上流に目を向けることも、非常に大切です。
このところ、日本においても、性暴力被害に関する研究が増えた印象を受けています。いつか川の上流がきれいになり、性暴力の被害に遭った人が、支援を求めやすく、人生を取り戻しやすい社会となりますように。その願いを胸に、研究を積み重ねたいと思っています。(齋藤梓)