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心の闇

時折,未成年者による凶悪事件が報じられていたころ,マスコミはよく「心の闇」という言葉を使いました。一般に未成年者が非行化する過程では,反抗的な言動や喫煙などから始まり,友だちの影響から不良然とした服装や振る舞いをする中で面白半分にバイクの無免許運転をし,対立関係がこじれて暴行事件に及ぶ,などの経過が見られます。

ところが,ここで紹介する「いきなり型非行」と呼ばれる行為をする少年は,だいぶ様相が異なります。一見,「普通」の高校生で,成績は中ぐらい,万引きなどの非行や補導されたこともない大人しそうな男子が,ある日,人を殺すことを思い立ち,果物ナイフを通学カバンに忍ばせ,下校中の被害者を切りつけたとします。刺し傷が浅かったとしても,被害者には深い心の傷が残ります。その一方,逮捕後の少年が,「成績を親に責められ,ムシャクシャしたからやりたくなった。」と犯行の理由を語り,淡々と犯行の状況を話し続けたとしたら,あなたはどう感じるでしょうか。現実の犯行と被害,犯行理由のギャップに違和感を覚え,現実感が希薄になり、人間としての軸がぶれるような感覚が生じるかもしれません。

このような事件について,報道では「普通の子がなぜ」と投げかけながら,独特の精神内界と「普通」に見える佇まいとの裏表に決まって「心の闇」を論じていました。また,重大事件についての研究では,そのような事件を起こす少年の一部に「発達的な偏りが大きく,表情が乏しく,他者との生き生きとした関係が持てない…限られたパターンや解決方法によって表面的に適応している」(2001年, 家庭裁判所調査官研修所)という傾向が認められると指摘しています。表面的には目立つところのない少年でも,その凶行の理由が不合理で理解できるものではない,我々は普通の人間であるという前提でいる一般市民が納得できる話を聞けない訝しさを込めて「心の闇」と呼ぶのでしょう。

我々犯罪心理学に携わる者は,「普通」という装いに隠れた奥底を見据え,闇の中にも光明が必ずあると信じて解き明かすことが仕事だと思っています。専門家や周囲の人々が連携して真摯に向き合い,更生に向けた支援を続けながら,普通の人生を歩んでくれることを願っています。(半澤利一)

文献 『重大少年事件の実証的研究』, 家庭裁判所調査官研修所監修, 司法協会, 2001年

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