コラム
自傷と他害
海外の犯罪心理学の研究では,しばしば「神話」や「迷信」を検討すると題した報告を見かけることがあります。実際,一般の人々が,犯罪や非行を行った人々に対して抱くイメージは時として実態と異なる場合があるように思います。私事で恐縮ですが,20年ほどの矯正施設での勤務を経たのち数年前に大学に移ったのですが,(当然といえば当然なのですが)犯罪や非行を行った人々のデフォルメされていない実像については「思ったよりも世間に知られていない」ことを改めて実感することがあります。
たとえば,少年鑑別所に在所している少年や少女の自傷行為の体験率の高さについてお話をするととても驚かれることがあります。彼らは,リストカットはもとよりさまざまなかたちでの自傷行為に及び,そのうちの幾つかは身体改造や通過儀礼としての意味合いを有していることがあります。しかし,定番の「根性焼」(火のついた煙草を皮膚に押し当てること)をとってみても,「根性を見せるためにやりました」と嘯きながら数珠つなぎの痛々しい火傷を見せられると,単なる我慢強さの誇示であると片づけられないようないろいろな意味が裏側に透けてみえることがあります。
市井の人々に自傷行為が意外であるとして受け止められるのは,非行少年や少女に「自分が悩む(苦しむ)かわりに他人を悩ませる(苦しませる)」人たちというイメージがあるからでしょうか。もちろん,他人に暴力をふるって傷つけたり,所有物を盗んだりする姿は一面の実像ではありますが,同時に,(比喩的にも文字通りにも)自分を傷つける行為に及ぶ者が一定数いることは,現場での実感からも研究からも裏付けられています。さらに,こうした自傷と他害は,一見正反対の行為であるようにみえて,案外近くにあり,背中合わせのような不思議な関係にあるという感覚を抱かせられることもあります。心理学のコトバを使えば,感情調整の困難さの一端があらわれたものであるとか,攻撃性が他人に対してだけでなく自分にも向けられるとか,内在化行動と外在化行動は併発するといったように説明されるのでしょうが,どうやらそれだけではうまく掬いきれない,腑に落ちない何かがあるようにも感じられるところです。
本年度の日本犯罪心理学会大会の全体シンポジウムは「自傷と他害を考える」というテーマを設定しており,各界の著名な先生方をお招きして話題提供をしていただく予定です。会員の方もそうでない方も是非ご参加いただけますと幸いです。(高橋哲)