コラム
街の中で暮らす人
街の中には思いのほか、犯罪をした人が暮らしている。司法の目を逃れている人もいれば、立ち直りの過程を歩んでいる人もいる。
私はある時期、刑務所の非常勤カウンセラーをしていて、同じ頃に民間の保護施設の立ち上げに関わった。そこは刑務所などから出てきた人たちの一時的な宿泊施設であり、地域の中の居場所でもあった。週に1回くらい宿直をして、心理的な支援を行う仕事をした。施設として1年間に数十人の引き受けがあり、その人たちは地域に暮らした。
大変なことがなかったわけではない。仕事を始めたものの、給料を当てにして借金したあげく浪費して逼迫し、やさぐれて施設に当たり散らし事務所の物を投げて壊す人もいた。そのわりに退所に不安を覚え、こっそりもう少し居させてくれないかと頼み込んできたりする。
施設を出て社会で暮らしてもうまくいかず、食料をもらいにくる人もいた。施設では食事の提供をしていたけれども、正面から頼ることもできない理由がそれぞれにある。お礼を言って帰る後ろ姿は、施設にいた頃よりも小さく、社会で暮らす孤独を印象づけた。
施設にお金を取られたと夜中に怒鳴り込んできて、大雨の中そこに居座り、何とか帰ってもらって寝ようかという頃にもう1度やって来て同じ訴えを延々と聞かされることもあった。翌日体調を崩すこともなく昼間から同じ訴えを繰り返す。今思えばそれは認知症の症状だったと思うけど、どこにも行き着かない恨みに動かされるのは、それはそれで大変なことだったろう。
楽しいこともなかったわけではない。地域の女性会が手伝ってくれて、毎年年末に餅つきをした。駐車場に敷いた青いビニールシートの上に臼を置いて、盛大に湯気の立ち上るもち米をついて、みんなで丸めた。通りがかりの知らない誰かが興味を持ってくれたこともある。地域のお祭りの飾り付けを通して自治会に受け入れられたり、餅を近所に配って玄関先で断られたり、作業場に仕事が入るようになって障害のある利用者の場ができたりして、日々が過ぎる。
傍から見れば名もない人生が無数に広がって、街の中にはいくつもの小さな物語が展開している。私はそうした時間を一緒に過ごすことも、名もない物語に耳を傾けることも、どれも好きなのだと思う。人は誰も、いくらかの犯罪性を持っている。それを抱えて街に暮らす。その歪さを私は愛している。日陰に隠り、日の当たる場所を歩き、ろくでもない自分を抱えて、私たちは街に生きている。 (工藤晋平)