コラム
名誉会員になって
この度、名誉会員に指名されました。この身に余る光栄な出来事をどのように受け止めるべきか、本当に混乱しました。これまで名誉会員になられた先生は、文字通り本学会の屋台骨を支え、我が国の犯罪心理学の発展に寄与され、そのご業績やご経歴を考えると、遥かに仰ぎ見る先生であり、遠い存在だったからです。
1970年,私は法務技官を拝命し、東京少年鑑別所鑑別課(以下、単に「鑑別所」又は「鑑別課」)第2係に所属しました。私にとって、これが職業人としての始まりですが、同時に、本学会との関係の始まりでもありました。鑑別課には第1係から第6係まで6つの係があり、それぞれ異なる事務を分担していました。当時、本学会事務局は鑑別所に設置されており、鑑別課第2係はその事務を担当していました。そんなことから、日常業務として鑑別をする傍ら本学会の事務をお手伝いすることになりました。
以下、当時の学会や、直接ご指導いただいた先生の思い出などを記し、草創期の学会を取り巻く状況などに触れたいと思います。ただ、50年以上前のことであり、記憶が薄れているほか、若い会員の皆様にとっては生まれる前のことですからセピア色の写真を見るような気になるかも知れません。
当時の鑑別所長は山根清道先生、鑑別課長が安香宏先生、私の直属の上司であり本学会の事務局を所管していた第2係長が大川力先生でした。御3人とも法務省退官後は大学教授としてご活躍されたほか、本学会会長として学会の発展に大きく寄与され名誉会員になっています。冒頭に記載した、遥かに仰ぎ見る先生たちです。そのような先生に、日常的にご指導いただいたことは、私にとっては大きな財産であり、今なお誇りに感じています。当時の先生としては、ロールシャッハテストの権威である上芝功博先生、文章完成法や非行理論などをご指導いただいた原島実先生、ロールシャッハテストをご指導いただいた上川路紀久雄先生、法務省式態度検査開発に携わった中村雅知先生などが係長としてご活躍されておりました。前後して後に新潟大学に出向された石田幸平先生が第1係長としてご着任され、また、当時東京医科歯科大学助教授だった小田晋先生が併任として週1回半日勤務されておりました。小田先生の机が私の隣りであったことから、私がお世話をすることになり、お茶を出したり、面接の準備を手伝ったりなどしていました。小田先生からは、毎回、犯罪精神医学や犯罪理論などをご指導いただき、毎回数冊の本を読んだ気になったものです。
当時はパソコンやワープロなどはなく、専ら手書きで学会名簿を作成したり、宛名書きなどをしていました。年1回の大会は現在のように大学で開催することは少なく、各地の公的施設を利用していました。学生アルバイトなども期待できず、若手の鑑別所職員が会場の設営、机や椅子の整理・確認などをしていました。事務局の仕事といっても、私の担当は雑用で、肉体労働でもありました。会員名簿の作成も大きな仕事で、印刷前の読み合わせは、会員の氏名・所属を覚えることになり、私にとっては大きな財産にもなりました。
当時の鑑別課では、課長や係長のご指導のもとに、各種研究会が毎週開催され、この研究会で基本的な知識を学び、それを発展させて学会発表の基礎としました。また、大会が近づくと、発表会が開催され予行演習をしました。発表原稿は安香先生、大川先生などに点検していただき、そうすることで自信をもって発表できました。本当に恵まれた環境だったと思います。
本学会に入会して半世紀以上が経過し、この間、地方区理事、常任理事、会計監査などの役員を歴任しました。本学会との関わりの中で成長し、育てていただいたと感謝しております。
最後になりますが、会員の皆様に改めて感謝するとともに、皆様の益々のご活躍と本学会の発展を祈念いたします。
(小柳 武)