コラム
心理臨床のフィールドとしての司法犯罪領域
司法犯罪領域は、心理臨床という点から見て、とても興味深いフィールドである。制約は多いが、そのことがかえって、心理臨床上の重要なポイントを鮮やかに浮かび上がらせるようなことも多いと思う。本稿では、司法臨床の面白さを伝えるべく、筆者のささやかな経験を振り返ってみたい。
かれこれ20年も前のことだが、筆者は刑務所で、いわゆる処遇困難者の担当として、面接に明け暮れる日々を送っていた。粗暴行為で保護室入りを繰り返している者や、ある時から一切話さなくなった者など、本当に色々な受刑者たちがいた。筆者の役割は、面接を通じて彼らをサポートするとともに、そこで得られた情報を他部門と共有し、彼らが刑務所で落ち着いて生活できるよう支援することであった。
目の前の仕事に熱中しながらも、実は筆者は、「自分がしていることは本当に心理療法なのだろうか?」という疑問を密かに抱いていた。心理療法家として一人前になりたいと思っていた筆者は、面接がうまくいけば、「受刑者を刑務所に順応させただけではないのか。」と自分を責め、うまくいかなければ、「刑務所という特殊な環境で、本当に心理療法を実施できるのか。」という疑問を抱きで、いずれにしても悩みが尽きることはなかったのである。
そうした筆者を救ってくれたのは、スーパーバイザーの言葉であった。スーパービジョンでの指導に対し、刑務所ゆえの制約を挙げて言い訳する筆者に、スーパーバイザーは、「どこで実施しようと、どんな制約があろうと、それが心理療法であるからには、心理療法として共通するものがあるはずである。そして、必ず押さえなければならないポイントがある。」といったことを言ったのである。これは、筆者にとって衝撃的な言葉であった。確かに、どこで実施されようと、心理療法には、心理療法として共通するものがあるはずである。同時に、それぞれの心理療法は、実施される領域や場所によって、必ず何らかの特殊性をもつことにもなる。言われてみれば、実に簡単なことであった。「こだわるべきは、そこではないのだよ。」と諭されていたのだとも思う。
ここから、かつては障害とみえた制約が、取り組むべき興味深い課題とみえてきたのだった。爾来、長い年月が過ぎたが、筆者は現在もそれらの課題に取り組み続けている。惜しむらくは、いつも真剣に耳を傾けてくれたスーパーバイザーが他界されてしまったことであろうか。(川端壮康)