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「面接」事始め

私の一貫した関心は面接技術の向上にある。犯罪心理の究明は、犯罪を犯した本人に尋ねてみるしかない。「尋ねる」「聞く」「教えてもらう」「傾聴する」とことばを重ねてみても、面接の本質は見えてこない。

面接の本質は、「問いの工夫」と私なりの結論に達するまでには、それなりの時間を要した。雑談と専門家の面接の違いは何か。専門家の問いには明確な「意図」がある。何のために問うているのかが明確なのである。仮に、「今朝、ご飯を食べてきた?」と一見何気なく尋ねたとしても、家族アセスメントの意図が隠されているかもしれない。

私は、「意図」について、主に次の3つを考えている。最初は、セラピストの問いはクライエントとの支持的関係の構築を目指すものである。具体的には、クライエントの主体性、能動性、積極性、意欲が可能な限り発揮されるように工夫する。この最初の意図の実現が面接の土台をなす部分である。特に、初回面接においてはこの意図が満たされるように配慮することになる。この意図が満たされない場合は、まずい、後味の悪い面接となり面接が台無しとなる。

次に、アセスメントのための問いである。これは、仮説に基づきながら仮説を検証するための問いを工夫することになる。私は、多くの仮説を学ぶために本学会に入会したと言ってよい。しかしながら多くの仮説を知っていても仮説を検証するための問いを構築できなければ、『絵に描いた餅』である。検証するプロセスがクライエントの洞察を導くように問いを工夫する。仮説を立てずに自由連想的な面接を否定する訳ではないが、法律や規則に基づき時間などに制約の多い犯罪・非行臨床の場には適さない場合が少なくない。

最後は、行動変容をもたらす介入のための問いということになるが、すでに先に述べたように洞察を導くということも介入の一つである。クライエントに「自問自答」を仕掛けるように問いを工夫することになる。クライエントとの間で「そう言われてみれば・・・」という合意形成が生じればセラピストの意図は半ば成功である。

できれば3つの意図が同時に満たされるように工夫すればそれに越したことはない。無駄のない理想的な面接となるが、それが簡単には実現できないから現在も飽きずに面接を続けている。「日暮れて道遠し」なのである。 (村松 励)

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