コラム
移ろう人の心と社会
今から30年くらい前に赴任した地方都市では、中学の男子生徒は全員丸刈りだったのですが、私と同じタイミングで都会から転校してきた生徒が丸刈り拒否をして、新聞にも取り上げられるほどの話題になりました。私は、転校生の主張は至極真っ当だと感じたのですが、父兄の間では丸刈り賛成派が圧倒的多数で、自分の常識はその地域の常識ではなかったことを思い知りました。もちろん、今ではその地域でも丸刈り強制ルールはなくなっていますので、新常識の浸透が遅かっただけと言えます。丸刈りに関しては、もっと新常識の浸透が遅かったのは野球部でしょうか。甲子園でも10年前くらいまでは丸刈りが当たり前であったように思います。
常識は移ろうものです。法律もかなり頻繁に改正されます。最近では、2022年から民法上の成年年齢が18歳に引き下げになり、同時に少年法も改正となりました。犯罪を規定している刑法も2023年に改正となり、さらに2025年6月からは、懲役刑・禁錮刑の区別がなくなり「拘禁刑」となることが決定しています。
翻って、善悪の基準は揺るがないものでしょうか。新手の脱法的手口は次々に出現するので、新たに「違法」を規定することはこれからも続くと思いますし、従来「違法」であった行為が違法でなくなった例も多いです。しかし、その背後にあるはずの善悪に関する人の感覚はどうなのでしょうか。倫理観や公正観のコアな部分、すなわち人の心理は案外変わらない気がしますし、そうであってほしいと思います。
とはいえ、犯罪を含むすべての人間の行為は、移ろう人の心と流動する社会構造とが入り混じるところで起きますので、犯罪を善悪の二分法で捉えること自体が問い直されなければいけないのかもしれません。
犯罪心理の世界は、広がり続ける宇宙のように果てしない世界です。(川邉讓)